大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

宮崎地方裁判所都城支部 昭和42年(ヨ)33号 判決 1968年2月29日

申請人 田中光治

<ほか二名>

右申請人ら訴訟代理人弁護士 小堀清直

右復代理人弁護士 堂園茂徳

被申請人 有限会社銀星タクシー

右代表者取締役 鞆田正三

右訴訟代理人弁護士 稲沢智多夫

主文

一、申請人らが被申請人に対し、雇傭契約上の権利を有する地位を仮に定める。

二、被申請人は、昭和四二年七月二九日以降本案判決確定の日の前日に至るまで、毎月五日限り、一ヵ月につき、申請人田中光治に対し金二万七、六〇九円、申請人坂元俊男に対し金二万四、五〇七円、申請人植村吉広に対し金二万六、二五八円の割合による各金員を支払え。

三、申請人らのその余の申請を却下する。

四、申請費用は全部被申請人の負担とする。

事実

第一申立

一  申請人ら

1  申請人らが被申請人に対し、雇傭契約上の権利を有することを仮に定める。

2  被申請人は、昭和四二年七月二九日以降本案判決確定の日の前日に至るまで、一ヵ月につき、申請人田中光治に対し金三万四六円、申請人坂元俊男に対し金二万六、四八二円、申請人植村吉広に対し金三万六七円の割合による各金員を仮に支払え。

3  申請費用は被申請人の負担とする。

二  被申請人

1  本件申請を棄却する。

2  申請費用は申請人らの負担とする。

第二申請の理由

一  被申請人は、一般乗用旅客自動車運送事業などを営む有限会社であり、申請人田中光治(以下、申請人田中という)は昭和三八年三月一日、申請人坂元俊男(以下、申請人坂元という)は昭和四一年五月一一日、申請人植村吉広(以下、申請人植村という)は昭和三五年八月二三日、いずれも被申請人に雇傭され、以後本社営業所においてタクシー運転手として勤務していた。

二  被申請人の職場には、その従業員で組織する銀星タクシー労働組合(以下、単に組合という)があり、昭和四二年七月二八日当時、申請人田中はその組合長、申請人坂元はその副組合長、申請人植村はその書記長の職にあった。その後、組合は、都北地区タクシー合同労働組合に加入し、都北地区タクシー合同労働組合銀星支部となった。

三  被申請人は、昭和四二年七月二八日申請人らに対し、解雇の意思表示(以下、本件解雇という)をしたが、その理由は次のとおりであった。すなわち、被申請人が非組合員のタクシーに対し、無線により発する業務指令が妨害されたことがあり、その妨害は組合の指令にもとづきその組合員がしたものであるから、申請人らは組合の役員としてその責に任ずるべきである、というにある。

四  しかしながら、本件解雇は、申請人らが正当な組合活動をしたことの故をもってしたものであるから、無効である。

1  組合がその組合員に対し、無線妨害を指令したことがないことは、後述のとおりである。

2  申請人らは、次のような組合活動をした。

(一) 従来、被申請人の職場には労働組合が存在しなかったのであるが、昭和四一年七月申請人田中および申請人植村らが中心となって、組合結成の準備に努力した結果、同月八日申請人坂元を含む被申請人の従業員四二名が加入する組合が結成され、結成大会において、申請人田中はその組合長に、申請人植村はその書記長に、それぞれ選任された。以後、申請人田中および申請人植村は組合の中心として、申請人坂元は組合員の一人として、いずれも熱心な組合活動を続けて来たものである。とくに、昭和四一年九月頃から基本日給の引き上げを中心とする賃金改訂の要求をして、被申請人と団体交渉を続け、昭和四二年三月一七日から同年四月一三日までの間に、実質一五日間のストライキを行ったが、この間における申請人らの活動はめざましいものがあった。

(二) 被申請人は、これを極度に嫌悪し、右ストライキの終結直後である昭和四二年四月二四日申請人田中を都城市志和池にある志和池営業所へ、申請人植村を北諸県郡山之口町にある山之口営業所へ、それぞれ配置転換しようとしたことがある。しかし、これは組合の抗議にあったため、被申請人が撤回せざるをえなくなった。

(三) 以上の経緯からみると、本件解雇は、申請人らが組合員としてなした正当な組合活動を嫌悪した被申請人が、そのことの故をもってしたものであるから、不当労働行為として無効である。

五  1 そこで申請人らが被申請人に対し、いぜん雇傭契約上の権利を有することは明らかであるのに、被申請人は、これを否定し、昭和四二年七月二九日以降の賃金を支払わない。

2 申請人らは、昭和四一年八月から昭和四二年七月までの間に、被申請人から別紙給与表記載のとおりの賃金ならびに夏期手当および冬期手当の支給をうけており、その平均月額は、申請人田中については三万四六円、申請人坂元については二万六、四八二円、申請人植村については三万六七円になる。毎月の賃金は、毎月末日締め切り、翌月五日に支払いをうけていた。

3 申請人らは、いずれも被申請人からうける賃金を唯一の生活の資としていたものであるから、雇傭契約上の権利を有する地位の確認および賃金支払請求の本案訴訟の判決確定まで、従業員として取り扱われず、賃金の支払もうけられないときは、回復しがたい損害を被るおそれがある。

第三申請の理由に対する答弁および被申請人の主張

一  答弁

1  申請の理由一の事実は認める。

2  申請の理由二の事実のうち、被申請人の職場に組合があること、申請人らがその主張のような役職にあったことは認める。その余の事実は知らない。

3  申請の理由三の事実のうち、申請人ら主張の日に本件解雇をしたことは認める。その理由は、後記二において主張するとおりである。

4  申請の理由四2の(一)の事実のうち、組合が賃金改訂をめぐってその主張のとおり一五日間のストライキをしたことは認める。その余の事実は否認する。

同じく(二)の事実のうち、被申請人が申請人ら主張の日に申請人田中および申請人植村をその主張のとおり配置転換しようとしたこと、これに対し組合から抗議をうけたこと、被申請人が右配置転換を撤回したことは認める。その余の事実は否認する。被申請人が配置転換を撤回したのは、それが時期的に妥当でないことを認めたからである。

5  申請の理由五の1の事実のうち、被申請人が申請人らに対し、昭和四二年七月二九日以降の賃金を支払わないことは認める。

同じく2の事実は認める。しかし、申請人らの賃金の平均月額算出の基礎に、夏期手当および冬期手当を算入することは、正当でない。

二  被申請人の主張――本件解雇の理由

1  被申請人は、タクシー四三台を所有し、都城市内に本社営業所のほか五ヵ所、市外に五ヵ所の営業所を設けている。市内所在の二八台のタクシーには無線設備を備え、都城市大王町一街区一一号にある事務所を基地局として、業務上の指令を与え、連絡にあたっている。

2  昭和四二年七月二六日非組合員三名が乗務するタクシーに対し、基地局から発する無線による業務上の指令が、午前一一時頃から、組合員によって妨害され始め、同日午後七時頃からは、激しい妨害のため、業務上の指令を与えることができなくなった。そして、ついに、同日午後一一時三〇分頃、交信妨害のため、基地局を一時閉局せざるをえなくなった。

3  右の無線妨害は、妨害をうけた者が非組合員三名に限られていること、組合がかねてから非組合員の解雇要求をかかげ、非組合員を徹底的にボイコットすることを基本方針としていること、からみて、組合の活動として、その指令にもとづいて組合員がしたものである。ゆえに、申請人らは、組合の役員として、右の無線妨害を指示したものである。

4  そこで、被申請人は、申請人らの行為が、就業規則第六三条第六号(他人に暴行脅迫を加え、もしくは、業務上の妨害をなしたとき)、第八号(自動車の運行に支障を来たすような言語動作をしたとき、または、しようとしたとき)、第九号(従業員をせん動し、流言を流布し、事業場の秩序をみだし、業務の円滑な運営を阻害し、または、しようとしたとき)にあたる行為を教唆、せん動、援助し、または、しようとしたとき、すなわち、同条第一七号に該当するものとして、本件解雇をしたものである。

第四被申請人の主張に対する答弁

一  第三の二1の事実は認める。

二  第三の二2の事実のうち、被申請人主張の日時に無線の基地局が閉鎖されたことは認める。その余の事実は知らない。

三  第三の二3の事実のうち、組合が非組合員の解雇要求、そのボイコットを基本方針としていることは認める。その余の事実は、否認する。

第五疎明資料≪省略≫

理由

第一当事者間の雇傭関係および本件解雇

被申請人が一般乗用旅客自動車運送事業などを営む有限会社であり、申請人田中が昭和三八年三月一日、申請人坂元が昭和四一年五月一一日、申請人植村が昭和三五年八月二三日、いずれも被申請人に雇傭され、以後本社営業所においてタクシー運転手として勤務していたこと、被申請人が昭和四二年七月二八日申請人らに対し本件解雇をしたこと、は当事者間に争がない。

第二本件解雇の効力

申請人らは、本件解雇が労働組合法第七条第一号の不当労働行為にあたり、無効であると主張するので、この点について判断する。

一  本件解雇の理由の存否

まず、被申請人が本件解雇の理由として主張する、前記事実欄第三の二の事実の存否について、判断する。

1  被申請人がタクシー四三台を所有し、都城市内に本社営業所のほか五ヵ所、市外に五ヵ所の営業所を設けていること、市内所在の二八台のタクシーには無線設備を備え、都城市大王町一街区一一号にある事務所を基地局として、各タクシーに業務上の指令を与え、連絡にあたっていること、被申請人の職場にはその従業員で組織する組合があり、昭和四二年七月二八日当時申請人田中がその組合長、申請人坂元がその副組合長、申請人植村がその書記長の職にあったこと、はいずれも当事者間に争いがない。

2  ≪証拠省略≫によると、次の事実が認められる。

被申請人がタクシーに設置している無線は、いわゆる単信方式であり、基地局から送信するときは、移動局である各タクシーの無線は自動的に受信の状態になり、一つのタクシーから送信するときは、基地局および他の移動局も自動的に受信の状態になるのであり、基地局と各移動局との間の通話は、他のすべての移動局においても、同時に受信される。ところで、昭和四二年七月二六日には無線設備を備えたタクシーが二二、三台走っていたが、そのうち非組合員が乗務していたのは、横山秀美、原田光雄および戸高辰夫の運転する三台だけであり、他は組合員が運転していた。同日午前一〇時五〇分頃から、横山秀美の運転するタクシーと基地局との無線による通話に障害が生じ始め、基地局から送信している途中に、その通話が途切れてしまうという状態が生じた。これは、基地局からそのタクシーに送信しているのに、その途中で他のタクシーの無線機の送信ボタンを押し、受信の状態から送信の状態においたために生じた障害であると考えられる。その日の午後からは戸高辰夫の運転するタクシー、午後六時頃からは原田光雄の運転するタクシーの無線による通話にも同様の妨害が入り始め、そのような状態が同日午後九時過ぎ頃まで続いた。とくに、同日午後八時前後には、基地局と右三名の運転するタクシーとの間の交信はほとんどできないような状態であった。そのため、被申請人としては、右三名に対し、適確な業務上の指令を与えたり、その報告をうけたりすることができなかった。しかし、この間、組合員である運転手のタクシーとの通話は、平常どおり、特段の支障なく行われていた。以上の事実が認められ、他にこれを動かすに足りる疎明はない。

右の事実と、後記3において認定する組合の第二回定期大会における組合員の発言とを綜合して考えると、横山秀美、原田光雄および戸高辰夫の三名に対する無線の妨害は、組合員によってなされたものと推認することができる。

3  そこで、進んで、右の組合員による無線妨害が、申請人らの指示にもとづいて行われたものであるかどうか、について考えてみる。

≪証拠省略≫によると、次の事実が認められる。

昭和四二年七月二六日午前一時頃から三時頃までにかけて、都城市民会館において、組合の第二回定期大会が開かれ、昭和四二年度の組合の運動方針などが討議された。その基本方針として、(1)組合意識の高揚、(2)同業種労組との提携、(3)年間協定にともなう基本方針、(4)非組合員の解雇要求、の四つが提案された。(4)については、(イ)脱退者に対して、組合結成の際に徴取した誓約書に違反した点についての責任を追及すること、(ロ)徹底的なボイコット作戦を強化すること、の二点が執行部から示された。右の(ロ)の具体的な方法として、非組合員の車が故障したときに加勢しないなど、非組合員とは仕事面での協力をしないこと、必要以外に口をきかないこと、レクリエーションの行事に非組合員を誘わないこと、などのやり方が論議された。その際、一部の組合員の中から、非組合員のタクシーと基地局との無線の交信を妨害したらという発言がされたのに対し、組合長である申請人田中から、そういうことは、余り派手にやらないように、という返答がされた。それ以上の詳しい討議はされることなく、結局、運動の基本方針は執行部の提案どおりに大会で承認された。以上の事実が認められ(る)。≪証拠判断省略≫

右の事実によれば、非組合員のタクシーの無線交信を妨害したらという発言に対して、組合長である申請人田中はむしろ消極的な態度を示しているのであって、右の質疑応答がされたことによって、第二回定期大会において非組合員の無線を妨害することが組合の方針として決定されたということは、とうていできない。結局組合の第二回定期大会において、右のような運動方針が決定されたことはなかったものといわざるをえない。また、その後現実に無線妨害が行われるまでの間に、申請人らが組合の執行部として、右のような方針を定め、これを組合員に指令したり、あるいは個人として、右のような行為を他の従業員に使そうしたことを認めるに足りる疎明は、全然存在しない。

以上によれば、結局、前記2に認定した組合員によるとみられる無線妨害が、申請人らの指示にもとづいて行われたものである、という被申請人の主張を裏付ける適確な疎明はない、といわなければならない。

二  申請人らの組合活動とこれに対する被申請人の態度

1  ≪証拠省略≫によると、従来、被申請人の職場には労働組合が存在しなかったのであるが、申請人田中および申請人植村ほか、三、四名を中心にして、昭和四一年七月頃組合結成の準備を進めたこと、その結果、運転手四三名の承諾をえて、同年七月八日組合の結成大会が開かれ、申請人田中が組合長に、吉行集が副組合長に、申請人植村が書記長に、それぞれ選任されたこと、申請人坂元も当初から組合に加入したこと、が認められる。

2  ≪証拠省略≫によると、次の事実が認められる。

組合は、結成後間もなくである昭和四一年九月二八日被申請人に対し、基本日給の引き上げを骨子とする賃金改訂を要求し、数回の団体交渉を重ねた。この問題が解決しないうちに、同年一一月三〇日年末一時金の要求をし、同年一二月八日監時大会を開いてストライキ権を確立した上、交渉にあたり、同月一五日妥結するに至った。一方、賃金改訂については、妥結に至らず、昭和四二年三月二五日臨時大会において、再びストライキ権を確立し、同年三月二六日から四月一一日までの間に、一五日間にわたるストライキを行った(この点は当事者間に争いがない)。その結果、同年四月一一日「(1)相互に信頼し合い、生産性の向上に努める、(2)賃金その他労働条件については、早急に了解点に達するよう努力する」という内容の協定書を交換し、一応の妥結に達した。右の団体交渉および争議において、申請人田中および申請人植村は、組合長および書記長として、組合の中心となって、被申請人との交渉や争議の指導にあたった。申請人坂元は、組合員の一人として、これに参加した。その後の組合活動においても、申請人らが組合の中核となっていた。そのため、昭和四二年七月二六日早朝に開かれた組合の第二回定期大会において、申請人田中がその組合長に、申請人坂元がその副組合長に、申請人植村がその書記長に、それぞれ選任された。以上の事実が認められ、この認定を左右するに足りる疎明はない。

3  ≪証拠省略≫によると、次の事実が認められる。

前記2に認定した賃金改訂をめぐる労使間の紛争が一応解決した直後である昭和四二年四月二四日、被申請人は、当時組合の組合長であった申請人田中を都城市志和池にある志和池営業所へ、書記長であった申請人植村を北諸県郡山之口町にある山之口営業所へ、それぞれ配置転換を命じた。これに対し、組合から、これが組織の弱体化を目的とするものであるとして、抗議と撤回の要求がされ、結局、右配置転換の命令は即日撤回された(被申請人が右の配置転換を命じたこと、これに対して組合から抗議があり、被申請人がこれを撤回したこと、は当事者間に争いがない)。従来、被申請人の職場において配置転換が行われるのは、おおむね欠員の補充の限度であって、年間二、三名程度であった。右の配置転換の場合は、申請人らのほか、志和池営業所から本社営業所へ一名、山之口営業所から高城営業所へ一名、高城営業所から三股営業所へ欠員補充のため一名、計五名の配置転換が発令されたのであるが、これが撤回された後、現在においても、志和池営業所から本社営業所へ配置転換を予定されていた有留久夫は、志和池営業所にとどまっている。以上の事実が認められ、右認定に反する疎明はない。

また、≪証拠省略≫によると、右の配置転換にあたって、本社営業所から他へ転出させる従業員の選定については、できるだけ子供の少ない者で、勤務成績のよい者という基準で選んだとのべておりながら、実際の衝にあたった橋元において、申請人田中および申請人植村の子供の数を正確に把握していなかった節がうかがわれる(弁論の全趣旨によると、当時申請人田中には三名、申請人植村には二名の子供があったことが認められるのに、右本人尋問では、前者には二名、後者には一名の子供があったと思うとのべている)。

以上の事実を綜合すると、従来の規模をこえた右の配置転換が、それに相当する強い業務上の必要性から出たものであることを納得せしめる根拠がなく、かつ、本社営業所から他へ転出させる者として、当時組合の組合長と書記長であった申請人田中および申請人植村を選定した点についても、合理的な根拠を発見することができないのである。したがって、右の配置転換は、結局、申請人田中および申請人植村の組合活動を被申請人において嫌悪していたことが、与って力があったものと推認せざるをえない。

この事実からみると、前記争議以後において、被申請人は、組合員による組合活動を嫌悪していたものと推認することができる。

三  不当労働行為の成立

以上の諸点を綜合して判断するときは、申請人らに対する本件解雇は、結局、被申請人が申請人らの正当な組合活動を嫌悪したことの故をもって行われたものであるといわなければならない。したがって、本件解雇は、労働組合法第七条第一号の不当労働行為に該当し、労使間の公序に反する無効なものである。

第四結論

一  本案請求権の存在

1  本件解雇が無効である以上、申請人らは、依然被申請人に対し、雇傭契約上の権利を有し、所定の賃金の支払をうける権利を有するものである。

2  被申請人が申請人らに対し、昭和四二年七月二九日以降の賃金を支払わないこと、申請人らが昭和四一年八月から昭和四二年七月までの間に、被申請人から別紙給与表記載のとおりの賃金ならびに夏期手当および冬期手当の支給をうけていたこと、毎月の賃金の支払期日は、翌月五日であったこと、は当事者間に争いがない。

ところで、被申請人は、申請人ら賃金の平均月額を算出する基礎に、夏期手当および冬期手当を算入することは、正当でないと主張する。夏期手当および冬期手当などのいわゆる賞与金は、その名称のいかんを問わず、通常、賃金の後払いの性質を有するものというべきであるから、特段の事情の認められない本件においても、賃金の一部と考えるべき性質のものである。

しかしながら、弁論の全趣旨によると、昭和四一年度においては、夏期手当は八月中に、冬期手当は一二月中に、支給されていたことが認められ、この事実によれば、その支払期日は毎年八月末または一二月末であると推認されるのであるから、これを各月に分割して、各手当の支払期の到来前である毎月五日にその支払を請求する権利が、申請人らにあるものということはできない。ゆえに本件解雇がなければ申請人らが毎月五日に支払をうけるであろう賃金月額は、右の夏期手当および冬期手当を控除した残額の平均月額とほぼ同額のものと推認するのが相当である。その額が、申請人田中については二万七、六〇九円、申請人坂元については二万四、五〇七円、申請人植村については二万六、二五八円(いずれも、円未満切捨て)であることは、計数上明らかである。

それでは、申請人らが本件解雇以後においても、毎年八月末または一二月末に昭和四一年度の夏期手当または冬期手当と同額の金銭の支払請求権を有するかどうかについて考えてみると、申請人らが昭和四二年度以降においても、引き続き昭和四一年度の支給額を下らない額の夏期手当または冬期手当の支給をうけうることを推認しうる疎明は、全く存しない。ゆえに、この点については、本案請求権の存在を裏付ける疎明がない。

三  必要性

≪証拠省略≫によると、申請人らがいずれも賃金を唯一の生活の資とする労働者であることが認められるのであるから、他に特段の事情の存しない限り、本案判決の確定をまっていては回復しがたい損害を被るおそれがあるものというべきところ、右の特段の事情の存在を認定するに足りる疎明は存しない。

四  結論

以上により、申請人らが被申請人に対し、雇傭契約上の権利を有すること、申請人らが被申請人に対し前記二2に認定した賃金請求権を有すること、および、これらの仮の地位を保全すべき必要性の存在についての疎明があったものというべきであるから、申請人らの申請を正当として認容し、その余の申請については、その疎明がないので、これを却下することとする。そこで、申請費用の負担につき、民事訴訟法第九二条を適用して、主文のとおり、判決する。

(裁判長裁判官 北川弘治 裁判官 堀口武彦 松村恒)

<以下省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例